ナフサ危機は原油より逃げ場が狭い
2026年、中東情勢の緊迫でホルムズ海峡の通航が混乱し、原油だけでなくナフサが急騰した。ナフサは石油化学の出発原料で、プラスチックも合成繊維もタイヤもここから生まれる。日本のエチレン分解炉は約95%がナフサを原料にし、そのナフサも約4割を中東から直接輸入し、国産分の原料原油も約9割が中東産だ。三菱UFJ銀行の試算では原油高で日本の実質GDPは押し下げられ、石化協のデータではエチレンの稼働率が記録的に落ち込んだ。本稿は、ナフサ価格の上昇リスクと、どの素材・商品にどれだけ効くか、そして日本がどこまで回避できるかを平易に整理する。
01なぜナフサは原油以上に中東に縛られているのか
まず構造を押さえる。ナフサは原油を蒸留して取り出す軽質の留分で、ガソリンの一歩手前にあたる。これを高温で分解すると、エチレン・プロピレン・芳香族(ベンゼンなど)といった石油化学の基礎原料が生まれる。日本の石油化学は、この分解炉(クラッカー)の原料を約95%ナフサに頼っている。米国の分解炉が安いシェールガス由来のエタンを使うのとは対照的だ。
そのナフサが、どこから来ているか。日本は年約3,347万klのナフサを使い、うち国産(製油所で原油から取り出す分)が約4割、中東からの直接輸入が約4割超、その他地域からの輸入が2割弱だ。問題は、国産ナフサの原料である原油も約9割が中東産であること。直接輸入と合わせると、ナフサの実効的な中東依存は約8割に達する。
ここに、もう一段のもろさがある。原油は世界中で産出され、ホルムズ海峡を通るのは世界の海上輸送量の約4分の1だ。一方ナフサは、アジアが輸入する分の多く(韓国・日本・台湾向け)が湾岸とインドに偏り、湾岸産はすべてホルムズを通る。原油には北米・北海・西アフリカなどの逃げ場があるが、アジアのナフサ調達には湾岸の代わりが乏しい。だからナフサは、原油以上に中東のひと筋の海路に縛られている。
022026年、ナフサ価格はどこまで上がったか
2026年2月末、米国とイスラエルによる対イラン攻撃を機にホルムズ海峡の通航が混乱した。中東からアジア向けのナフサ出荷は3月に大きく落ち込み、ナフサ価格はすぐ跳ね上がった。指標となるアジア渡しのスポット価格は、3月に2週間あまりで急騰した。韓国などアジアの買い手が払う上乗せ(プレミアム)も膨らみ、ナフサの対ブレント精製マージンも平時から大きく広がった。
日本の取引価格も追って上がる。国内取引の基準となる国産ナフサ基準価格は、「輸入ナフサの平均価格(財務省貿易統計のCIF価格)+2,000円/kl」で決まり、直近3か月の輸入実績を四半期ごとに反映する。つまり価格はラグを伴って効いてくる。スポットの急騰は時間差で基準価格に乗り、月次速報では2026年4月に1klあたり10万円を超え、2022年の過去最高(約8.6万円/kl)を大きく上回る記録的な水準に達した。
では、ここからどこまで上がるのか。大手金融機関の原油見通しが手がかりになる。三菱UFJ銀行は2026年のWTIを1バレル$70台半ば〜$80台半ばと置きつつ、危機の最中はアジアが値決めに使うドバイ原油がWTIの約2倍まで開いたと指摘する。野村證券はホルムズ封鎖をめぐる4つのシナリオで$60台〜$110のレンジを示し、日本総研は戦闘が長期化すればWTIは$120まで上がり「$100超の定着」もありうるとする。野村総合研究所はホルムズの完全封鎖なら$140を想定する。原油が上がれば、ナフサはそれ以上に上がりやすい──逃げ場が狭いぶん、危機時のナフサは原油より割高に振れる。
03ナフサ高はどの素材・商品に効くのか
ナフサ高は、私たちの身のまわりの製品に幅広く効く。ナフサを分解して得られるエチレン・プロピレン・芳香族から、ほぼすべての汎用プラスチックと合成繊維、合成ゴムがつくられるからだ。
どれだけ効くか。国内では、国産ナフサ価格が1klあたり1,000円動くと、樹脂の取引価格が1kgあたり約2円動くのが目安とされる。多くの樹脂はこの「ナフサフォーミュラ」で四半期ごとに自動改定されるため、ナフサ高はラグを伴って樹脂・成形品へ転嫁される。実際、2026年の危機局面では国内でも旭化成がポリエチレンを3割超値上げするなど、樹脂・成形品の値上げが相次いだ。家庭で言えば、食品トレーやレジ袋、衣料、タイヤ、塗料といった幅広い生活用品の原価がじわりと押し上げられる構図だ。
04大手金融機関はどう見ているか
各機関の分析を並べると、「ナフサ単体の暴騰」より「原油高が物価・企業収益に効く経路」として整理されている。要点を一覧にする。
| 機関 | 主な見方 | 定量的な目安 |
|---|---|---|
| 三菱UFJ銀行 経済調査室 | ホルムズ事実上封鎖の世界経済への影響を分析。アジアはドバイ原油で値決めするため、WTIだけ見ると影響を過小評価すると警告。 | 2026年WTIは$70台半ば〜$80台半ば。日本の実質GDPは平時比−0.1〜−0.2pt、CPIは+0.2〜+0.4pt以上。 |
| 野村證券 | ホルムズ封鎖をめぐる4つのシナリオ(停戦決裂で湾岸関係も悪化/イラン単独封鎖/米国関与で対象船舶限定/休戦で通航再開)で原油レンジを提示。 | WTIは$60台〜$110。停戦決裂の悲観シナリオで$100〜$110、休戦の楽観シナリオで$60台。 |
| 野村證券/野村総合研究所 | 中東ショックの波及を5層で整理。日本は価格・数量・物流の3層にとどまり、需要崩壊(4〜5層)は回避見込みと判断。 | WTI$100で実質GDP−0.30%・物価+0.52%。完全封鎖$140なら実質GDP−0.65%でスタグフレーション懸念。 |
| 日本総研 | 原油市場展望で危機シナリオを提示。戦闘長期化で高値定着を警戒。 | 標準は3月内収束で4月以降低下。長期化リスクでWTI$120、「$100超の定着」もありうる。 |
| みずほリサーチ&テクノロジーズ | 原油高の長期化が企業業績(付加価値額)に与える影響を試算。化学はコスト転嫁経路で打撃と整理。 | 原油$100継続で全産業の付加価値額−1.2%、製造業−2.3%。 |
| 内閣府(参考・公的分析) | 原油価格ショックがCPIへ波及する時間構造をVARで推計。 | 原油+10%で日本のCPIは約1年後にピークで+0.22pt押し上げ、約3年かけて減衰。 |
共通するのは2点だ。第一に、影響は原油→ナフサ→基礎化学品→樹脂→製品と段階を踏み、消費者物価へはラグを伴って効く。第二に、日本固有のリスクとしてアジアの値決め基準(ドバイ原油)の割高化と、ナフサという中間財の供給制約(数量の細り)が挙げられる。三菱UFJも内閣府も、日本のエネルギーの中東依存の高さ(原油の9割超、ナフサの実効8割)を前提に置いている。
05どこまで回避できるのか
ナフサ危機のリスクは、どの程度回避できるのか。結論から言えば、価格上昇そのものは避けにくいが、効き方は和らげられる。3つの緩衝材がある。
第一に、調達先の分散。湾岸が細った分を、米国・豪州・インド・アルジェリアからの輸入が一部埋めはじめた。ただし、これらは湾岸の細りを完全には埋め切れず、代替にはなり切らない。中東依存の高さは構造的で、短期に消せない。
第二に、価格決定のラグと補助。国産ナフサ基準価格が四半期遅れで効く仕組みは、スポットの急騰がそのまま国内物価に直撃するのを和らげる。政府はガソリン・灯油の補助を再開し、CPIの跳ねを部分的に抑えた。内閣府の推計どおり、原油ショックがCPIに乗り切るには約1年かかり、その間に情勢が落ち着けば被害は縮む。
第三に、皮肉な緩衝材としての設備縮小。日本の石油化学は、中国の大型増設と国内需要の縮小で構造的な過剰設備を抱える。2026年3月のエチレン稼働率は68.6%と1996年の統計開始以来の最低(採算ラインは約90%)まで落ち込んだ。各社はこれを受け、エチレン分解炉の集約に動いている。国内の現状の能力は年約600万トン規模だが、進行中の集約を織り込んでも500万トン程度までしか減らない見込みだ。出光と三井化学は千葉の分解炉を2027年度をめどに集約し、旭化成・三井化学・三菱ケミカルは西日本(水島)のエチレン能力を年95万トンから45万トンへ半減させる(2030年度めど)。ナフサを使う炉そのものが縮むため、危機時の調達不安にさらされる規模も構造的に小さくなる。需要縮小という痛みの裏返しが、中東リスクへの露出低下でもある。
整理すると、ナフサ高の価格は世界市場とホルムズの一本道に縛られ、日本だけでは止められない。だが、ラグと補助で物価への響きを和らげ、設備の縮小で露出する量そのものを減らすことはできる。化学肥料が中東依存を別の資源国への依存に置き換えただけだったのに対し(中東情勢と化学肥料調達の代替ルートを考える)、ナフサは代替先が乏しいぶん、「依存を移す」より「響きを和らげ、露出を減らす」方向での備えが現実解になる。
結論:ナフサ高は止められないが、響き方は和らげられる
ナフサは原油以上に中東の一本道に縛られ、日本の分解炉は約95%がナフサ依存・実効8割が中東産だから、危機時の価格上昇は日本だけでは避けられない。波及はプラスチック・合成繊維・タイヤなど生活用品の幅広い面に薄く効く。ただし、四半期ラグの価格制度と燃料補助が物価への直撃を和らげ、過剰設備の再編で分解炉そのものが縮むため、中東リスクに露出する量は構造的に減っていく。回避不能なのは価格、和らげられるのは効き方と露出量である。
三菱UFJ銀行 経済調査室「ホルムズ海峡の事実上封鎖と世界経済への影響」(MUFG、2026年4月3日)/野村證券「ホルムズ海峡封鎖の4シナリオと原油価格」(Nomura WealthStyle、2026年5月)/野村證券・森田京平「中東情勢の日本への波及(5層フレーム)」(Nomura、2026年5月)/野村総合研究所・木内登英「原油価格上昇の日本経済への影響」(NRI、2026年)/日本総研「原油市場展望 2026年3月」(JRI)/みずほリサーチ&テクノロジーズ「原油高の長期化が企業業績に与える影響」(2026年3月13日)/三菱UFJリサーチ&コンサルティング「グラフで見る景気予報(4月)」(MURC、2026年4月)/内閣府「原油価格と消費者物価」月例経済トピックス(内閣府、2026年3月27日)/石油化学工業協会「エチレン生産・稼働率」(時事通信報道、2026年4月)・ナフサ輸入統計(2024年の国別輸入シェア)/大景化学「国産ナフサ基準価格の推移」(財務省貿易統計ベース、算定式・月次/四半期価格)/日本経済新聞「旭化成、汎用樹脂のポリエチレンを3割超値上げ」(2026年3月)/米EIA「Strait of Hormuz chokepoint」(EIA)/AGBI「Premiums surge as Iran war disrupts Asia's naphtha supply」(AGBI、2026年3月)/出光興産・三井化学「千葉地区エチレン設備の集約」(最終合意2025年12月19日、2027年度めど)/旭化成・三井化学・三菱ケミカル「西日本エチレン事業の再編」(基本契約2026年1月27日、出資比率の発表2026年5月)。