日本のEV電池戦略は『全固体への一点突破』
日経の報道(2026年6月1日)によれば、上海汽車(SAIC)と清陶昆山能源は全固体電池を載せたEV試作車の組み立てを2026年3月初旬に終え、2027年の市場投入を予定する。BYDも同年に少量搭載、2030年に大規模量産へ。注目すべきは「中国が全固体で追ってくる」事実そのものではなく、日本と中国の出発点が根本的に違う点にある。中国は車載電池の世界シェアで2025年に7割超を握ったまま、半固体を「つなぎ役」として全固体へ滑らかに連続進化する。日本はその現行型で完敗した代わりに、半固体ステップを飛ばして硫化物全固体に資源を一極集中する非連続な一足飛びを狙う。本ノートでは、中国の連続進化と日本の一足飛びが分かれた根本まで遡り、いつでも止められる地政学的前提と、硫化物 vs 酸化物の技術分岐を主軸に、素材調達と採算ラインまで含めて両者の戦略を対比する。
01出発点 ─ 中国の支配と日本の独立路線
中国の現行リチウムイオン電池の支配は数値で見ても圧倒的である。車載電池の搭載量ベースで中国の世界シェアは2025年に7割超に達し、韓国勢が約19%、日本勢はパナソニックを含めても1桁台に押し込まれた(日経, 2026/6/1/SNE Research)。国内市場でもCATLが2025年通年で43.4%、BYDが21.6%でCATL+BYDで国内64%を握り、2026年Q1にはCATL単独で50.1%(CPCA推計)と過去5年で初めて5割を超えた。
中国メーカーの全固体ロードマップは、この現行支配の延長線上に位置する。CATLは半固体電池を2026年後半に量産、全固体は2027年に小規模生産。SAICは清陶昆山能源と試作車組立を2026年3月に完了、2027年の大規模量産デリバリーを公表した。BYDも開発着手が2013年と早く、2027〜2029年デモ期から2030年大規模量産へ ─ 全期間で現行LFP・三元系の収益が次世代開発を支える。CALB・EVE Energy・奇瑞・広汽も半固体を活用しつつ全固体実用化を狙う。
日本側のロードマップは数字こそ近いが、性格がまったく異なる。トヨタは2027〜2028年に航続1,200km級の高級BEVで初投入するが、初期の年産台数は公表されていない(海外報道では当初は年1万台規模に限定との見方もある)。本格量産は2030年でMETIの「蓄電池に係る供給確保計画」認定が量産化の制度的土台となる。日産は2028年度、ホンダは2020年代後半、スズキも新規参入(カナデビアから事業譲渡)。現行型EVで市場を取り損ねた前提で、次の技術ジャンプで反転を狙う構造である。
日中で最も決定的に異なるのが「つなぎ役」の有無である。中国勢は半固体電池を全固体までのつなぎ役として実装中で、年1,600万台のNEV市場(新車の5割弱)が半固体段階でも収益と歩留まり改善の機会を生む。これに対し日本勢が半固体に手を出すケースはほぼない(日経)─ 日本市場が小さく、半端な改良では量販EVに乗らないからである。
中国の支配は規制カードとしても顕在化した。2025年10月9日、中国商務部はリチウムイオン電池サプライチェーンに対する大規模な輸出規制を発表。対象はセル・パック、正極前駆体、負極材、LFP正極材、製造装置・技術まで ─ 上流から製造ノウハウまで一体で押さえる設計である。中国は重要鉱物20種のうち19種で精製首位、前駆体・LFP正極材では95%超のシェアを握る。
同規制は2025年11月7日、2026年11月10日までの1年間 一時停止とされた(米中通商交渉の進展による)。だが「停止」は「撤回」ではない ─ 再発動のスイッチは中国側に残り、レアアース7元素と関連磁石材料への規制は維持されている。
これは「電池版のAI半導体輸出規制」と読むのが正確である。米国がAI半導体で中国の喉笛を握るのと対称的に、中国はEV電池の上流・製造ノウハウで世界の喉笛を握る用意があると明示した。日本のEV戦略はこの「いつでも止められる前提」のうえで設計せざるを得ない。前回ノートのAIインフラ非対称が、EV電池ではより極端な形で表れる。
日本が硫化物全固体に張るもう一つの理由は、材料調達の独立性である。現行LiBが依存する正極前駆体・LFP正極材・グラファイトは中国が9割以上を握るが、硫化物固体電解質の主原料の硫化リチウムは別物 ─ 原料の硫黄は石油精製の副産物として日本国内(出光・JX等)で安定確保できる。
出光興産は1994年に硫化リチウムの量産技術を確立し、トヨタとの協業で千葉事業所に固体電解質の大型パイロット装置を建設中である。あわせて中間原料の硫化リチウム大型製造装置(Li2S大型装置)を2027年6月完工予定で建設し、生産能力は年約1,000トン(蓄電池換算で年3GWh相当、EV5〜6万台分)と世界トップクラスを掲げる。総事業費約213億円のうち約71億円がMETI「蓄電池に係る供給確保計画」の助成対象として認定されている。住友金属鉱山もトヨタと正極材量産で協業する。
ただし硫化物の手前のリチウム自体は依然として地政学的な急所である ─ 世界のリチウム精製は約60%を中国が握る。日本のサプライチェーン戦略は、リチウム調達の多元化(豪・チリ・米)と、その先の電解質・正極材工程の国内化という二段構えで設計されている。
02技術ルート ─ 硫化物 vs 酸化物の分岐
全固体電池の固体電解質には大きく3系統がある ─ 酸化物系・硫化物系・ポリマー系(およびハロゲン化物系)。日本勢はほぼ全員が硫化物に賭けている。中国勢は酸化物・硫化物・ハロゲン化物を並走させる戦略で、EVE Energyのように3経路を段階的に検証する方針を明示する企業もある。
硫化物の長所は、室温で液体電解質に匹敵するイオン伝導性、低温加工性、柔らかく成形時の界面接触が良いこと。短所は水分に極めて敏感で、湿気と接触すると有毒な硫化水素を発生する点である。量産には超低湿度のドライルームへの巨額投資が必要で、これが「日本勢に勝算がある領域」の正体である。半世紀近い硫化物研究の蓄積と、半導体・液晶でドライルーム運用に慣れたエンジニアリング基盤を、日本は持つ。
酸化物の長所は化学的・機械的に安定で安全性が高いこと。短所は脆く、焼結に高温が必要で、伝導性が低い ─ 結果として半固体での実用化には向くが、全固体への展開は工程的に難しい。中国の半固体が酸化物系の延長線上にあり、SAICはMG「MG4」の半固体搭載モデルを液体電解質含有量5%、航続530km、9万元(約210万円)からで発売、SUVの「MG4X」にも採用を広げる。一方、本格的な全固体ではCATL・BYDが硫化物に移行しており、最終形では中国も硫化物に収斂しつつある。BYDが2026年5月に硫化物全固体の新規特許を出願したのはその表れである。
この収斂は、日本側の優位がいつまで持つかという問いを突きつける。硫化物製造プロセスのノウハウ ─ ドライルーム運用、固体電解質の薄膜化、界面抵抗のコントロール ─ で日本が先行している間に量産規模で追いつけるか、それとも中国の規模調達と垂直統合に呑み込まれるか。2027〜2030年の量産立ち上げ局面が、日本のEV電池戦略全体の勝敗を決める窓となる。
03採算 ─ 新ライン投資と損益分岐の壁
技術ルートの選択は、ほぼそのまま投資負担と採算構造の選択でもある。中国側の業界証言として伝えられたデータを引くと、半固体は既存生産ラインの約8割を流用できるのに対し、全固体は新ラインが必要で投資額は従来の2倍以上に膨らむ。さらに規模拡大が見込めない初期段階では、固定費の単位当たり負担がさらに重くなる ─ という指摘である(みずほ銀行 湯進・上席主任研究員/日経 2026/6/1)。
これが価格に翻訳されると桁が変わる。全固体電池で車両搭載が2万〜3万台規模にとどまる間は、価格は現行リチウムイオン電池の5倍以上になるという見方がある。BloombergNEFの2024年LiBセル平均価格約$115/kWhを起点に置けば、初期全固体は概ね$500〜600/kWh級。航続1,200km級の100kWh搭載車では、セルだけで1台あたり$50,000〜60,000(約750万〜900万円)規模に達する。高級EVのBOMには許容できても、量販EVには絶対に乗らない。
トヨタ自身も2030年時点のセル製造コスト目標を、液体(現行リチウムイオン)電池の1.5倍以内に設定する。価格水準で1.5倍まで下がって初めて、中位車種への普及が見えるという含意である。中国側でも国軒高科のようにコスト縮小を明確に掲げる企業がある ─ 同社は全固体電池の生産ライン2GWhをすでに完成させ、硫化物電解質などの部材生産拡大を通じてセルコストを1Wh当たり1元(kWh換算で約1,000元≒$140級)まで引き下げる目標を公表した。これは現行LiB水準への接続を視野に入れた水準である。だが5倍 → 1.5倍への移行は3〜5年で約7割のコストダウンを意味し、歩留まり改善・電解質単価引き下げ・ライン稼働率の引き上げが同時に進まないと達成できない。中国側の強みは、年間1,600万台規模の新エネ車市場(新車販売の5割弱)が学習曲線を下る燃料を供給する点にある。
損益分岐の3条件
採算化の前提を分解すると、3つの条件が同時に揃わないと損益分岐は越えられない。①ライン稼働率(新規ラインを量産規模で安定稼働させる)、②歩留まり(パイロット段階の50〜70%級から量産で90%超へ)、③電解質単価(出光の硫化リチウムが年約1,000t規模の量産に乗ってkg単価が現状から大幅低減)。どれか1つが遅れても5倍 → 1.5倍のラインは引けない。
逆に言えば、3条件のうち日本が押さえるのは①と②(量産技術・歩留まり)であり、③(材料単価)は出光・住友金属鉱山の量産化スケジュールに連動する。METIの蓄電池産業戦略は遅くとも2030年までに国内製造基盤150GWh/年の確保を掲げており、これが達成されれば1.5倍ラインへの到達は射程に入る。達成されなければ、高級EVの限定品として終わる可能性も実在する。
| レイヤー | 中国側の構造 | 日本側の構造 |
|---|---|---|
| 現行LiBの市場地位 | 世界シェア7割超(2025年・搭載量ベース) | グローバルシェア1桁台に押し込まれ |
| 次世代戦略 | 半固体「つなぎ役」→全固体の連続進化 | 半固体スキップ、全固体に一点突破 |
| 全固体量産開始 | 2027 SAIC・BYD、2030大規模量産 | 2027〜2028 トヨタ高級EV、2030本格量産 |
| 技術ルート | 酸化物→硫化物→ハロゲン化物の3並走 | 硫化物に一極集中 |
| 材料調達の急所 | 上流をほぼ自国内で完結 | リチウム精製は中国依存、硫化物以降は国内化 |
| サプライチェーン主導権 | 2025/10 電池規制で世界の喉笛を握る用意 | 中国規制再発動の前提で設計せざるを得ず |
| 採算 ─ 投資負担 | 半固体は既存ライン8割流用、追加投資抑制 | 新ライン必須、投資は従来比2倍超 |
| 採算 ─ 需要規模 | 年1,600万台NEV市場が学習曲線を下る燃料 | 高級EV数万台で固定費吸収 |
| 勝負どころ | 規模・垂直統合・既存収益の厚み | ドライルーム運用と硫化物製造ノウハウ |
結論:『全固体への一点突破』は撤退戦の選択
日本の硫化物全固体フルベットは、技術的優位というよりは現行リチウムイオン電池で取れない以上、次の技術節目でしか勝ち目がないという撤退戦の選択である。中国は現行支配を全固体まで延長しようとしており、2025年10月のサプライチェーン輸出規制は同じシナリオの予告編と読める。日本側にも勝ち筋はある ─ 硫化物の半世紀の研究蓄積、ドライルーム運用ノウハウ、リチウム以降のサプライチェーン国内化。だが量産規模と垂直統合では中国に圧倒される構造で、2027〜2030年の立ち上がり局面が日本EV電池戦略の勝敗を決める。中国側の追走スピードと量産規模次第では、日本の技術リードが先行販売の数年で吸収される可能性も現実的に想定しておく必要がある。